12月15日の豆知識 三矢の教えは、作り話だった!!|知恵の雫
公開日:
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最終更新日:2017/09/05
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12月15日の豆知識
三矢の教え
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今日(12月15日)の豆知識 三矢の教えについてです。
今日12月15日は、1557年(弘治3年11月25日)毛利元就が息子へ14箇条の遺訓(三子教訓状)を記すした人されています。
この三子教訓状は、今に伝わる「三矢の教え」の元となるものです。
「三矢の教え」とは、毛利元就が今際の際に、3人の子供である毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に伝えたとされる言葉で、3人の子らを弓矢に例えて、3人が仲違いすることなく力を合わせて毛利家を盛り立てるようにと、“1本の矢では簡単に折れてしまうが、矢も3本合わせれば簡単には折れない。”と説いたというお話ですよね。
(小早川隆景は大河ドラマ軍師官兵衛では鶴見辰吾さんが演じていましたね。)
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ですが、三子教訓状には、弓矢のやの字も出てきません。
それどころか、毛利元就臨終の際には、毛利隆元と小早川隆景のみで、吉川元春は戦の最中だったそうです。
ただ、死に際の毛利元就が大勢の子どもたちを呼び集めて“1本の矢では簡単に折れるが、多数の矢を束ねると容易に折れないので、皆がよく心を一つにすれば毛利家が破られることはない。”と教えたとされる文献が、江戸時代に編纂された「前橋旧蔵聞書」にあるそうです。
下記に記載する三子教訓状と前橋旧蔵聞書との合わせ技で、「三矢の教え」が作り上げられたようですね。
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三子教訓状(現代語訳)wikipediaより
=第一条=
何度も繰り返して申すことだが、毛利の苗字を末代まで廃れぬように心がけよ。
=第二条=
元春と隆景はそれぞれ他家(吉川家・小早川家)を継いでいるが、毛利の二字を疎かにしてはならぬし、毛利を忘れることがあっては、全くもって正しからざることである。これは申すにも及ばぬことである。
=第三条=
改めて述べるまでもないことだが、三人の間柄が少しでも分け隔てがあってはならぬ。そんなことがあれば三人とも滅亡すると思え。諸氏を破った毛利の子孫たる者は、特によその者たちに憎まれているのだから。たとえ、なんとか生きながらえることができたとしても、家名を失いながら、一人か二人が存続していられても、何の役に立つとも思われぬ。そうなったら、憂いは言葉には言い表せぬ程である。
=第四条=
隆元は元春・隆景を力にして、すべてのことを指図せよ。また元春と隆景は、毛利さえ強力であればこそ、それぞれの家中を抑えていくことができる。今でこそ元春と隆景は、それぞれの家中を抑えていくことができると思っているであろうが、もしも、毛利が弱くなるようなことになれば、家中の者たちの心も変わるものだから、このことをよくわきまえていなければならぬ。
=第五条=
この間も申したとおり、隆元は、元春・隆景と意見が合わないことがあっても、長男なのだから親心をもって毎々、よく耐えなければならぬ。また元春・隆景は、隆元と意見が合わないことがあっても、彼は長男だからおまえたちが従うのがものの順序である。元春・隆景がそのまま毛利本家にいたならば、家臣の福原や桂と上下になって、何としても、隆元の命令に従わなければならぬ筈である。ただ今、両人が他家を相続しているとしても内心には、その心持ちがあってもいいと思う。
=第六条=
この教えは、孫の代までも心にとめて守ってもらいたいものである。そうすれば、毛利・吉川・小早川の三家は何代でも続くと思う。しかし、そう願いはするけれども、末世のことまでは、何とも言えない。せめて三人の代だけは確かにこの心持ちがなくては、家名も利益も共になくしてしまうだろう。
=第七条=
亡き母、妙玖に対するみんなの追善も供養も、これに、過ぎたるものはないであろう。
=第八条=
五龍城主の宍戸隆家に嫁いだ一女のことを自分は不憫に思っているので、三人共どうか私と同じ気持ちになって、その一代の間は三人と同じ待遇をしなければ、私の気持ちとして誠に不本意であり、そのときは三人を恨むであろう。
=第九条=
今、虫けらのような分別のない子どもたちがいる。それは、七歳の元清、六歳の元秋、三歳の元倶などである。これらのうちで、将来、知能も完全に心も人並みに成人した者があるならば、憐憫を加えられ、いずれの遠い場所にでも領地を与えてやって欲しい。もし、愚鈍で無力であったら、いかように処置をとられても結構である。何の異存もない。しかしながら三人と五龍の仲が少しでも悪くなったならば、私に対する不幸この上もないことである。
=第十条=
私は意外にも、合戦で多数の人命を失ったから、この因果は必ずあることと心ひそかに悲しく思っている。それ故、各々方も充分にこのことを考慮せられて謹慎せられることが肝要である。元就一生の間にこの因果が現れるならば三人には、さらに申す必要もないことである。
=第十一条=
私、元就は二十歳のときに兄の興元に死に別れ、それ以来、今日まで四十余年の歳月が流れている。その間、大浪小浪に揉まれ毛利家も、よその家も多くの敵と戦い、さまざまな変化を遂げてきた。そんな中を、私一人がうまく切り抜けて今日あるを得たことは、言葉に尽し得ぬ程不思議なことである。我が身を振り返ってみて格別心がけのよろしきものにあらず、筋骨すぐれて強健なものにもあらず、知恵や才が人一倍あるでもなく、さればとて、正直一徹のお陰で神仏から、とりわけご加護をいただくほどの者でもなく、何とて、とくに優れてもいないのに、このように難局を切り抜け得られたのはいったい何の故であるのか、自分ながら、その了解にさえ苦しむところであり、言葉に言い表せないほど不思議なことである。それ故に、今は一日も早く引退して平穏な余生を送り、心静かに後生の願望をも、お祈りしたいと思っているけれども、今の世の有様では不可能であるのは、是非もないことである。
=第十二条=
十一歳のとき、猿掛城のふもとの土居に過ごしていたが、その節、井上元兼の所へ一人の旅の僧がやってきて、念仏の秘事を説く講が開かれた。大方様も出席して伝授を受けられた。その時、私も同様に十一歳で伝授を受けたが、今なお、毎朝祈願を欠かさず続けている。それは、朝日を拝んで念仏を十遍ずつとなえることである。そうすれば、行く末はむろん、現世の幸せも祈願することになるとのことである。また、我々は、昔の事例にならって、現世の願望をお日様に対してお祈り申し上げるのである。もし、このようにすることが一身の守護ともなればと考えて、特に大切なことと思う故、三人も毎朝怠ることなくこれを実行して欲しいと思う。もっとも、お日様、お月様、いずれも同様であろうと思う。
=第十三条=
私は、昔から不思議なほど厳島神社を大切にする気持ちがあって、長い間、信仰してきている。折敷畑の合戦の時も、既に始まった時に、厳島から使者石田六郎左衛門尉が御供米と戦勝祈祷の巻物を持参して来たので、さては神意のあることと思い、奮闘した結果、勝つことが出来た。その後、厳島に要害を築こうと思って船を渡していた時、意外にも敵の軍船が三艘来襲したので、交戦の結果、多数の者を討ち取って、その首を要害のふもとに並べて置いた。その時、私が思い当たったのは、さては、それが厳島での大勝利の前兆であろうということで、いざ私が渡ろうとする時にこのようなことがあったのだと信じ、なんと有難い厳島大明神のご加護であろうと、心中大いに安堵することができた。それ故、皆々も厳島神社を信仰することが肝心であって、私としてもこの上なく希望するところである。
=第十四条=
これまでしきりにいっておきたいと思っていたことを、この際ことごとく申し述べた。もはや、これ以上何もお話しすることはない。ついでとはいえ言いたいことを全部言ってしまって、本望この上もなく大慶の至りである。めでたいめでたい。
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◆二十四節気・七十二候
◆12月15日=誕生日
1878年 – ハンス・カロッサ、ドイツの詩人、小説家、開業医
◆12月15日=忌日
2005年 – 仰木彬、元プロ野球選手・監督
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◆12月15日=出来事
208年(建安13年11月20日) – 赤壁の戦い。
孫権・劉備連合軍が曹操の船団を打ち破る。
1549年(天文18年11月27日) – 竹千代(のちの徳川家康)が今川義元の人質として駿府へ出立する。
1557年(弘治3年11月25日) – 毛利元就が息子へ14箇条の遺訓(三子教訓状)を記す。
(のちの「三矢の訓え」のモデルとされた)
1840年 – ナポレオンの遺骸がセントヘレナからフランスに返還され、アンヴァリッドに安置される。
1939年 – アトランタで映画『風と共に去りぬ』が初公開される。
1963年 – 12月8日に暴力団に腹部を刺された力道山が死去。
1978年 – 米大統領ジミー・カーターが、アメリカ合衆国が中華人民共和国を承認し、中華民国と断交することを表明。
1999年 – 都営地下鉄12号線の路線名称を「大江戸線」に決定。
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