11月26日の豆知識 『ハル・ノート』は最後のカード!?|知恵の雫
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最終更新日:2017/08/15
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11月26日の豆知識
ハル・ノート
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今日(11月26日)の豆知識 ハル・ノートについてです。
今日11月26日は、1941年に第二次世界大戦: アメリカのハル国務長官がハル・ノートを提示した日です。
『ハル・ノート』は、日米開戦を決定づけたとされる、正式名称”合衆国及日本国間協定ノ基礎概略”という提案書です。
確かに、最後のカードではありましたが、アメリカはもっと早い時点で、開戦を決していたというのが、大方の見方となっています。
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第二次世界大戦は、1939年に始まっていて日本軍が本格的にヨーロッパ戦線に加わって欲しくない連合軍は、日本軍を太平洋に留め置くように、アメリカ主体で画策していたのです。
その策の最後のカードが、『ハル・ノート』となったという事です。
1941年12月8日、日本軍が真珠湾攻撃に踏み切らなかったら、第二の『ハル・ノート』が出されたでしょう。
アメリカとしては、ヨーロッパ戦線に参戦して、その上日本軍と開戦してしまったら、両面戦争になってしまいます。
ですから、日本軍の目を太平洋に釘付けにし、日本軍との開戦を出来るだけ遅らせたかったのが本音でしょう。
実際には、1941年12月8日、日本軍が真珠湾攻撃をして、日米開戦の火蓋が切られたのです。
時期はともかくとして、日本軍の武力行使に対しての報復処置であるとの、大義名分を得る事には成功した訳です。
ですから、結果的に『ハル・ノート』が最後のカードとなったのです。
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終戦後の『ハル・ノート』への評価は、日本に同情的なものも多く見られます。
@イギリスの駐日大使ローバト・クレイギー 大東亜戦争開戦後の抑留中に加藤俊一外相秘書官に
・ハル・ノートは日本の国民感情を全く無視したものであって、あれでは日本として立たざるを得なかった、と考える。
イギリス政府が私の意見に耳をかさなかったのは、かえすがえす残念だ。
@極東国際軍事裁判のインド代表判事 ラダビノッド・パール博士の判決書
・現代の歴史家でさえ、今次の戦争に関しては、真珠湾の直前、国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受領した場合、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえも、合衆国に対して武器を取ったであろう。
@日本軍真珠湾攻撃当時の太平洋艦隊司令官であったハズバンド・E・キンメル大将 著書「キンメル提督の話」
1941年12月7日朝の攻撃は、コーデル・ハル国務長官の11月26日の対日最後通牒に対する烈火の回答であった。
@日米開戦時の嶋田海相の極東国際軍事裁判での陳述
・それはまさに青天の霹靂であった。
アメリカにおいて日本のした譲歩がいかなるものにせよ、余はそれを戦争回避のための真剣な努力と解し、かつアメリカもこれに対し歩み寄りを示し、もって全局が収拾されんことを祈っていた。
しかるにこのアメリカの回答は、頑強不屈にして、冷酷なものであった。
それは、われわれの示した交渉への真剣な努力は少しも認めていなかった。
ハル・ノートの受諾を主張したものは、政府部内にも統帥部内にも一人もいなかった。
その受諾は不可能であり、その通告はわが国の存立を脅かす一種の最後通牒であると解せられた。
この通告の条件を受諾することは、日本の敗退に等しいというのが全般的意見であった。
@日米開戦時の東郷外相
・眼もくらむばかりの失望に撃たれた。
日本がかくまで日米交渉の成立に努力したにもかかわらず、アメリカはハル・ノートのごとき最後通牒を送って、わが方を挑発し、さらに武力的弾圧をも加えんとする以上、自衛のため戦う外なしとするに意見一致した。
(東郷茂徳著「時代の一面」)
@米 セオボルト海軍少将
・まさしくハル・ノートは、日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった。
@グルー駐日大使
・このとき、開戦のボタンは押されたのである。
@米下共和党ハミルトン・フィッシュ議員が真珠湾攻撃時に戦争を支持する演説を行い、その後にハル・ノートの内容を知って
・私はルーズベルトが、日本に恥ずべき最後通牒を送って、日本の指導者に開戦を強要したことを知った。
わたしは、わたしの演説を恥ずかしく思っている。
@駐米英国大使館ウイリアム・ヘイター
・米国政府は(日本が拒否することを)承知していたはずだ。
私がこの文書(ハル・ノート)の存在を教えられた時、国務省は、これを極東問題の理想的解決、ユートピアとして扱っていた。
<<<<<中略>>>>>
われわれは米国と密接に連絡、協議してきた。
しかし、最後の決断と行動派、米国政府が独自に取ったという事を、未来の歴史家は認識すべきである。
(1943年9月18日 英国外務省報告)
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◆二十四節気・七十二候
◆11月26日=誕生日
1288年(正応元年11月2日) – 後醍醐天皇、第96代天皇
◆11月26日=記念日
・ペンの日
1935年のこの日、日本ペンクラブが創立されたことに由来し、同クラブが1965年に制定。
◆11月26日=出来事
紀元前43年 – 古代ローマでガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス、マルクス・アントニウス、マルクス・アエミリウス・レピドゥスによる第二回三頭政治が始まる。
1778年 – ジェームズ・クック船長がヨーロッパ人として初めてマウイ島を訪れる。
1868年(明治元年10月13日) – 明治天皇が江戸城に入る。
名称を東京城と改めて皇居とする。
1942年 – 映画『カサブランカ』がニューヨークで世界初公開。
2003年 – ブリストルで超音速輸送機コンコルドの最後のフライトが行われる。
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